再び夜の帳が落ちる頃、二頭の馬が都を掠め清水寺の方へと向かい駆けていた。
共に黒い被り物をしている所為で、その顔を垣間見る事は難しい。
だがその隙間から零れ出ている頭髪の色は、紺と橙。
そしてその身体つきからして男である事は間違い無さそうだった。
二頭は鴨川にかかる橋の手前で、一旦やや足を緩める。

「五条大橋は、恐らく検非違使等が目を光らせている場所だ。とはいえ、あの橋を渡らずして清水寺には辿り着けない!」
「幸運を祈るしかない・・・か。」
「そういう事になるよな?」

橙色の髪をした男が軽く肩をすくめてみせた。
そうしてすっかり暗く成り果てた辺りの中、橋上をジッと目を凝らして見つめる。
と、その時。

「あの牛車に付随して行ってはどうだろう?」

紺色の髪をした男が、自分たちのやや前を行く一台の網代車を指差す。
恐らく何処かの貴族子女のモノであろう。
その車はゆっくりと五条大橋へと向かい行く。

「確かに、それが良策だろうな!よし!行くぞ?」

二頭は軽やかに駆け出し、そしてその網代車の背後に自然を装い付き従った。

 

 


瑠璃天晴の章 7

 

 

『まさかっ・・・そんな?』

大きく顔を左右に振りつつ、ハーネンフース家の子息は項垂れた。
その両肩は小刻みに揺れ、彼の動揺が伺えて。

『ディアッカ殿、それは本当の事なのですか!?何を根拠にそんな事が・・・!?』

ディアッカは円座の中央に広げた書状の中から、ある一枚を取り出す。
それにはなにやら人の名が数人分書き出されていた。

『これには内薬司に務める者の名が記されている。そして此処に、俺はちょっとした引っ掛かりを感じた。』
『!?』
『今年に入ってからここの人員は大きく編成されたらしい。その新たな内訳を見てみたところ、これがまた那智大社より昇格され内裏にやってきた者達ばかり。』

提示、明言された出来事に、一同はただただ静まり返る。
ジジッと火の燻る音が、室内に響いて。

『コレを見て、何をか思わないか?』
『どれも・・・那智大社に務めるデュランダル家の者ばかりだな。』
『デュランダル家といえば、確かに古くよりより薬学に優れた家柄だが・・・。』
『まさかっ!?セイラン家とデュランダル家が裏で手を結んでいると!?』

その問いに、ディアッカは小さく首を横に振る。

『いや、まだ其処までは確定出来ません。が・・・この人員編成時期を考えるに、中宮シホ姫が体調を崩されだした時とどうにも被るのです。』
『っ・・・そうだ。姉上は、確かに今年の正月までお元気で居らしたのだ!なのに、それなのにっ・・・あんな、突然にっ!』

嘆きの声を挙げるハーネンフース家の子息を、誰もが目を細め見つめた。
愛しい肉親を奪われたのかもしれぬという衝撃の事実。
それを受けて、気持ちが混乱して当然だ。

『貴方の胸の憤り・・・それは深くお察しましょう。だが、今は悔やんでいる時では無いのです。』
『・・・。』
『亡き中宮様の為に、そして現帝の為に、引いては我々の為に・・・どうかお心を強くお持ち下さい!』
『っ・・・そう・・・ですね。』

だが、今は嘆いてばかりはいられないのが現状。
ディアッカは心荒げた彼に対してそう言った。
すると力無くではあるが頷いた彼に、ディアッカは一つ間を置いて話を進める。
その場にはびこる重い空気を払拭するかのごとく、強い口調でだ。

『そこで・・・だ!もう一つ、こちらも見てもらいたい!』
『!?』
『実は数日前、帝よりの密書を戴いていた!』
『っ・・・イザーク様よりか!?』
『あぁ。』
『中身は、何と!?』
 
ゆるゆると開かれていく一通の文。
覗き込んだその内容は、通常は押されている筈の調印こそ見当たらないが、現帝イザーク様のモノであろう文面と字体であった。
セイラン家に隠ぺいされている身なのだ、こっそりとお書きになられたのだろう。

『まず初めに来た物は、現在の都の状況を尋ねるモノだった。それに対して俺が返事を書き、更に来た二通目の御文が・・・コレだ!』

ディアッカの手の元、イザーク様よりの二通目の文に目を通す。
そこには・・・!

『これは帝よりの勅命だ。果たさねばならない!』

強いアメジスト色の瞳が、アスランとハイネを見やった。

 

 五条大橋の上、緩やかに進む牛車の護衛に似せて俺とハイネは馬を歩かせる。
橋の口元には検非違使と思わしき男が一人ウロウロとしていたものの、どこか気持ち散漫であるのか、チラリと網代車を一瞥しただけであった。
カツカツと音を立てて進む馬の上、俺は小声で彼に問いかける。

「いつからなんだ?」
「ん?」
「いつから、橙光寺に?」
「あぁ、4年前からだ。帝直々のご命令でな。」

互いに見やる事はせず、意識の半分は辺りへと向かう。
不慮の事態・・・検非違使等に見つかったらば、一気に馬で橋を駆け抜けねばならない。

「レイ様が4歳の時だったな。」
「4年・・・!」
「実にハキハキとしていて利発なお子だよ!」

彼の言葉に、俺も自分の中の記憶を思い出す。
そうだ、確かにあの御方は歳に似合わず大人びて見えた。

「まぁそれもコレも皆、難しい身の上であるからなんだろうけれどな?」

内心で大きく頷きながら、自分がお逢いしたあの時の顔立ちやお姿を頭の中に浮かべてみる。
色白であり、つぶらな青い瞳とサラサラとした金色の頭髪が印象的なお子で・・・。

・・・『彼女』よりは薄い金の髪色であったけれども・・・。

ふとそんな事まで思い、俺はスッと両目を閉じた。
今は、一先ず『彼女』の事を想っている場合ではないのだと。
思わず零れ出てきそうになる残像を、グッと意識の奥へと仕舞いこむ。

「お姿を消されたのが、7日程前の事だった。ちょっとお庭へ・・・と言い置いて、そのままだ。」
「セイラン家の手の者が浚っていったという事だろうか・・・?」
「うーん。まぁ、そういう事になるのかも・・・な?」

ハイネは歯切れ悪くそう呟くと、一旦口を閉ざした。
そうして俺はディアッカの言葉を思い出す。

『これは帝よりの勅命だ!現帝の異母兄弟レイ様を保護、または奪還せよとの事!』

あの時アイツが俺とハイネとを見やったのには訳がある。
それは、俺達がレイ様と直にお逢いした事のある者達であるからだ。

『アスラン、お前は帝に付いてレイ様の元へ赴いた事があったよな?』
『あぁ。』
『そしてハイネ!お前は帝勅命のレイ様お付の警護人だ。』

自分が知らなかった彼の役目を知り、俺は軽く目を見開いた。
そう、ハイネはイザーク様の腹違いの弟を警護していたのか・・・と。

『清水寺の近くにあるセイラン家縁の寺にて、レイ様は匿われていると思われる。既にその付近で人を雇い、密かに集わせてある!数日のうちになんと保護しろ!』

あの時の強いディアッカの声が、今も耳の奥で木霊している。


辺りはどこかボウッと霞がかり、空は一面鈍よりとした雲が蔓延っていた。
やがて無事に五条橋を越えられた俺とハイネは、ディアッカの言っていたとおりの寂れた小寺に到着。
其処で手筈された者達と無事に落ち合う事に成功する。
そして直ぐ様、彼等が先立って把握しておいたセイラン家の別邸その見取り図でもって、イザーク様の異母兄弟であるレイ様を奪還すべく作戦を練りだす。

「屋敷の中に忍ばせた者によれば、此処西の対の奥の間は警備が異様に厳しく、出入り出来る者は決まっているとの事らしいです。」
「ならば・・・恐らく其処に、レイ様が匿われているって事だろうな!」
「はい。そこで北門よりやや西に向かったこの辺り、小さな隠れ小門があります。此処より手筈を整えた上で内部へと侵入いたしましょう。」
「中に入るのは最小限の人員で良いだろう。俺とアスラン、それから後2名で潜入っていうところで・・・どうだ?」

ハイネの言葉に、俺は一つ大きく頷いた。
確かに、余り大勢では警護の者等に見つかり易くなるだろう。

「ならば、決行は明日の夜だ!丁度雲行きも可笑しい。雨音に紛れて邸内侵入だな!」
「えぇ。折り良く都では菊花の宴が催されると聞いております!ウナト、ユウナ殿両名共に、こちらの屋敷は不在確定でしょう!」
「こりゃ正に好都合の連続だな!」

そうだ、明日九月九日は重陽・・・幸な奇数が重なるこの日は逆に不吉であるとして、邪気を払う為の行事が催される日だ。
しかし帝が不在のまま、そのような催しを執り行おうとは!?
セイラン家が如何に我が物顔で祭事を仕切っているのか?
それを目の当たりにする情報に、俺は苦々しく唇を噛み締める。

「では明晩、丑の刻にレイ様奪還の為にセイラン家別邸へと潜入をする!」

凛としたハイネの声に、この場に居る男共は目と目をあわせ頷いた。

 

暗い室内、そのやや綻びた板天井を見つめる。
それを囲む白壁もまた、手入れがされていないのが一目瞭然だった。
これで風雨にでも晒されようものならば、どうなる事やら・・・?
何処からとも無く吹き抜けていく風を肌に感じつつ、フウッと一つ息を吐いた。
どうにも気が昂っているようだ。
眠っておくべきだと思うのに、寝付けない。
身体は落馬と裂傷の傷みを伴い、斬られた腕に至っては熱を持っている。
一刻も早く体力を回復させねばならないとは思うのだが・・・。
痛みによって更に意識は研ぎ澄まされ、眠りの際に漕ぎ着けない。

・・・決行は、明日・・・か。

ソッと目を閉じ、先程まで行われていた密談にて目にしたセイラン家の見取り図を頭に思い描く。

『潜入する者は、この図をしっかりと頭に叩き込んでおけよ!』

強い口調でそう宣告していたのはハイネだった。
その目には『レイ様をなんとしてでも奪還するのだ!』という意思が見て取れて・・・。

『何度も言うが、俺はイザーク様よりお前ならば・・・と言われてレイ様の護衛になった。』

この小寺へと着く前に、自分に語ってくれた自身の胸の内。
其処で感じたのは現帝への確かな忠義と、そして命じられた任務・・・レイ様を護る事・・・を貫こうとする強い責任感だ。
恐らくセイラン家はレイ様を手駒に現帝イザーク様を退け、新帝擁立後政権を完全に掌握せんとしているのだろう。
若干8歳であるレイ様が帝となったとしても、当然祭り事等、議事を決定するのは難しい!
そこで帝の代わりという名目でもって、あの鷹司セイラン家のウナトが政権の一切を取り仕切る算段だ。
それは考えずとも直ぐに分かる、簡単な図式。
つまりレイ様は、目下セイラン家にとって無くてはならない重要な人材で・・・。

『セイラン家の好き勝手になど、させてたまるか・・・ってな!』
『しかし。一先ず、彼の御方に危害が加えられる恐れはない筈だ。』
『あぁ。そうだな・・・確かにその通りだろう。が、どうにも気持ちが急いてしょうがないのさ!』

俺は彼の気持ちを少しでも宥めようと言葉をかけた。
するとハイネは低い声でそう言い、そして薄く笑った。
口調とは裏腹な彼のその表情を見て、知らず俺も手にしていた手綱をグッと強く握り締める!
そう、気持ちが急いているのは己も一緒なのだ・・・!!

・・・あんな男に・・・渡してなるものか!?

もう数日後に迫った吉日の夜に、彼女が穢されてしまうのだ!
どんなにか憧れて、そうしてようやくこの手に出来ると思った大切な女性がだ!!

・・・あんな卑怯な奴に・・・彼女が・・・っ!?

考える度に、腸の中が大きく煮えくり返る!
耐え切れず、ググッと両肩にも力を入れた俺。

『お前もなんだろう?』
『・・・え?』

そんな自分を見て、ハイネは唐突にそう言った。
穏やかでいて、けれどしっかりとした口調でだ。
だがいきなりの事で、俺は両目を瞬く。
何の事だ?・・・と。

『ディアッカから聞いた。確か、カガリ姫・・・だったか?』
『・・・。』

彼の青い目は俺を憂う訳でもなく悼む訳でもなく、ただ凛とした光を灯していた。
それに胸の中、一瞬カッと赤く染まった気持ちが自然とストンと落ちていく。
迷う事無く真実を突き詰めていこうとするその瞳は、ハイネの生まれもった利点と才能だろう。
そんな彼の姿に、素直に心が開かれて。

『間もなくセイラン家の嫡男が婚姻を結ぼうとしているアスハ家の姫君は、お前と相思相愛の仲であったとな!』
『あぁ・・・そうだ。俺があんな事にならなければ・・・な!』
『・・・セイランに一杯喰わされたって事か。』

だが流石にハッキリとそう告げられた時、胸の中でグルリと怒りがとぐろを巻いていた。
込み上げるのは自分を陥れたのであろう者・・・その代表格として思い浮かぶひょろっとした紫髪の男の姿!
しかし・・・。

『それでも、お前は未だ・・・諦めてなんかいないんだろう?』
『っ・・・!』
『だから、お前も俺も此処に居る!』

力強いハイネの言葉に、思い出された最後の記憶。
宇治のザラ家別邸にて、思わぬ事に俺の元へとやって来た彼女が触れたこの身!

――かへりこぬ 昔を今と思ひ寝の 夢の枕に にほふ橘。

同時に頭の中を彼女との出来事が走馬灯のように巡っていき、そしてそのどれもが未だに自身の中で色褪せては居ない事を俺は改めて認識した。
そうあれが夢のようなひと時だったと、そう思い込める程に自分は全く諦らめてなどいないのだ・・・と!

『想いは力になる。お互いに力を合わせれば、尚更にな!』

・・・想いが力に・・・か!

俺はパッと両目を見開き、天井の一点をジッと睨み据える。
そうしてふとある事を強く思った。
己の願いは、果たして一体何なのか!?
自分は今、何を願い此処に居るのか!?
それは・・・?

・・・再び、彼女の元へ・・・!

胸の奥底に残っていた想いが、一気に身体の中を駆け巡っていく。
一度は諦め絶望に染まった心が、今再び息を吹き返す。

・・・その為にも、レイ様をしかと奪還するのだ!

こうして俺の心は強く気持ちを固め、やがて夜も薄っすらと明けていく。
それは霧雨降る静かな夜明けだった。